君がそこに立っているだけで ある日、困り果てた彼女の父親がFの前に現れた。 「やめてくれないか。淳子はもう君のことをなんとも思っていない。淳子の中にあるのは思い出だけだ。淳子の思い出をそっとしておいてやってくれ」 またその次の日、「いいかげんにしないか」と彼女の父親はFの胸ぐらをつかんで言った。 「僕は淳子さんを愛しています。だからここに立ちます。誰にも迷惑はかけません」 「君がそこに立っているだけで、もうすでに充分迷惑だということがわからんのか」 「僕は淳子さんにはいっさい声はかけないつもりです。ただ僕はここに立ちます」 彼女の父親は少し戸惑ったような表情を見せたあと、Fの胸の辺りをつかんでいた手をゆるめた。そして、もういちどFを鋭い目で睨みつけたあと、家の中に消えていった。 淳子の父親からFの家に電話が入った。 「家族全員、そして近所の方々も迷惑している。息子さんの行動をなんとかしてもらえないか」 Fの父親は受話器を置いてからFを呼んだ。 「どういうことだ」とFの父親は言った。 「俺は必ず彼女を取り戻す」 「みじめなことをするのはやめてくれ」 「俺はやめない。俺は負け犬ではない」 Fは自分の部屋に戻ってベッドの上に寝転がった。机の上には何枚かの淳子の写真が散らばっていて、その他ありとあらゆる物が整理されずに放り出されたままになっている。先日Fは病院で、鬱病にかかっていると診断された。そのうえ、円形脱毛症にもかかっていて、食べ物ものどを通らなくなっていた。Fは栄養剤を飲み、通院を続けながら、なんとかその日その日を生き永らえていた。 しばらくの間Fは部屋の天井をぼんやりと見ていたが、やがて起き上がると、淳子の誕生日のプレゼントに用意しておいた花束をもって部屋を出ていった。 淳子の部屋には灯りがついていた。Fは花束を彼女の家の玄関にそっと置いた。 このページのコンテンツを表示するにはJavaScriptを有効にする必要があります。 Tweet