切るに切れない電話 次の朝僕は電話の音で目が覚めた。 「もしもし、私」と夕美が言った。時計を見ると、まだ六時三十分だった。 「ああ、どうした?」 「昨日眠れなかった」 「なぜ?」 「電話をかけたけど、ずっと話中だったから」しまった。昨日は夕美から電話が入ることになっていたんだ。 「切るに切れない電話だったんだ」 「ねぇ、私が昨日電話するっていうことはあなたに言っておいたわよね。今月会う日を決めようって。それでも切れない電話だったっていうことは、よっぽど大事な電話だったんじゃないの?」 うかつだった。夕美は昨夜の僕の電話の相手が前の女、つまり礼子だったことに気づいているのかも知れない。 「私のことなんて何とも思ってないっていうこと?」と夕美が訊いた。 「そうじゃない」と僕は言ったが、電話の向こうでは少しの間沈黙が続いた。 「私、今月行くのやめるかも知れない」 「え」 またしばらく沈黙が続いてから僕は言った。「今夜電話するから、そのときにゆっくり話し合わないか」僕としては、時間を置けば、それまでの間に彼女もいろいろと考えてくれるだろうという作戦のつもりだった。そして、その間に僕も考える。昨日の電話の相手が礼子だったことを言うべきかどうか。そのことで夕美を困らせはしないかどうか。 夜、電話をかけたのは夕美の方だった。 「はっきり言うよ」と僕は言った。「昨日の電話は前の女からだった。」 「わかってたわよ、そんなの。切るに切れない電話なんて、仕事の電話か、別れた女の電話に決まってるじゃない。おそらく女の電話だったんだろうなって思ってたわよ」 夕美は礼子のことに関しては何も訊いてこなかったが、僕はつけ加えることにした。 「前にも言ったように、彼女とは君と知り合う二ヵ月前に別れた。それは嘘じゃない。それに俺は彼女のことをもう何とも思っていない。これも本当だ」それから少し間を置いて「そして」と僕は言った。 「今月、来るか来ないか、それは夕美が決めてくれればいい。夕美が来たくないのなら仕方がない」これは賭けだ。 夕美はしばらくの間何も言わなかったが、やがて、「わかったわ」といつもの柔らかいトーンで言った。「今月、あなたのところに行く」 このページのコンテンツを表示するにはJavaScriptを有効にする必要があります。 Tweet